絵と本

<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 42年前のベンシャーン展 | main | 唐墨【からすみ】 >>
ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸
ここが家だ_カバーあり_s
                  絵 ベンシャーン
          構成/文 アーサー・ビナード
                   装丁 和田 誠

画家ベンシャーンと詩人アーサー・ビナードの言葉が、
第五福竜丸を通して、反原水爆を訴える一冊。

++++++

1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で、アメリカが水爆実験を行った。
それは広島型原爆の1000倍を超え、きのこ雲は35キロメートルの上空まで昇った。大量の放射能が潮流にのって太平洋を広く汚染し、気流によって北極まで運ばれ、また放射能雨となって日本全土を含む広範囲に降り注いだ。マーシャル諸島の住民が被爆し、ビキニ環礁の近くで操業していた遠洋マグロ漁船の第五福竜丸も、死の灰をもろに浴びた。「近くで」とはいえ、第五福竜丸は米軍が定めた危険区域の外の公海で、延縄漁(はえなわ)をしていただけだった。
 「水平線にかかった雲の向こう側から太陽が昇る時のような明るい現象が3分くらい続いた」と、無線長の久保山愛吉が、爆発時の様子を語った。経験豊かな彼は、自分たちが軍事機密に遭遇してしまったことを察知し、仲間に大声で言ったーーー「船や飛行機が見えたら知らせよ。その時は、すぐに焼津に無線を打ち、自分たちの位置を知らせる。そうでなければ無線を打たない」。発信が傍受されれば、自分たちが攻撃目標にされかねないことも分かっていた。
 死の灰にまみれて、放射能病に耐えながら、第五福竜丸の23人の乗組員は自力で二週間かかって母港の静岡県焼津に帰った。自らの体験を語り、水爆の生き証人となった。世界的な原水爆禁止の動きは、彼らの勇敢な行動から始まったのだ。
 その後、核実験は2000回以上も繰り返されてきたが、人類がこれまで「核の冬」を回避し、絶滅に至らなかったのは、核兵器の使用を断固許さない市民の意識によるところが大きい。しかし現在、小型核兵器の新たな開発が進められ、21世紀の戦争でそれが使われる危険性は、高まりつつある。そんな愚行を断固許さない市民の意識が、ますます大事になってくる。
 ベンシャーンはLucky Dragon Seriesの連作を、無線長の久保山愛吉を主人公にして描いたが、そのことについてこう語っている。
「放射能で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。第五福竜丸のシリーズで、彼を描くというよりも私たちみなを描こうとした。久保山さんが息をひきとり、彼の奥さんの悲しみを慰めている人は、夫を失った妻の悲しみそのものと向き合っている。亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、我が子を抱き上げるすべての父だ」

+++「石に刻む線 アーサービナード」より抜粋 Text copyright ⓒ Arthur Binard,2006


ここが家だ_カバーなし_s

カバーをはずした本表紙。

ここが家だ__s

カバーの背の部分。

「ここが家だ」に関するブログ:
松岡正剛「千夜千冊」1207夜 
ベン・シャーン&アーサー・ビナード
ここが家だ
Ben Shahn & Arthur Binard 2006

集英社 2006
COMMENT









Trackback URL
http://www.etohon.jp/trackback/55
TRACKBACK